引用: 悪役の救い手
(本文)
二日後―――。
朝、不機嫌そうな顔のアゼフは、コーディスの会場に行くための準備をしていた。
侍女がアゼフのカフスボタンを付けようとした時、不意にアゼフの手の甲に触れてしまった。
アゼフ「何やってんだ、貴様!」
勢いよく侍女の手を振り払い、カフスボタンが足元に落ちる。
侍女「申し訳ありません。侯爵様。お許しを・・・。」
がたがたを震えながら足元にひざまずき、許しを請う侍女。
アルモア「お許しください、侯爵様。侍女なのに下手で・・・。まだ子供なので、私がしっかり注意しておきます。この子を早く連れて行って。」
アルモアは泣いている侍女を背中にかばいながら、他の侍女に部屋から出るよう指示を出した。
(気分が最悪だ。なんであんな夢を見たんだ?)
アゼフは昨日見た夢を思い出し、うんざりする。
その様子を見たアルモアは不思議そうにする。
(変だな。数日前まで別人のように機嫌がよく見えたのに。待ちに待ったコーディス当日なのに、どうしてあんなに敏感になっているんだろう。)
アゼフ「アルモア。」
アルモア「はい!侯爵様。」
アゼフ「ジェイへのプレゼントは?」
アルモア「こちらです。丁寧に包装して準備しておきました。あと、侯爵がおっしゃってた侍女も、昨日ティアセ家に入られました。」
アルモアはにこやかな顔でプレゼントをアゼフに見せたながら言った。
アゼフ「私が用意しろと言ったのはそれだけではないはずだが・・・?」
アルモア「あ・・・。それはずっと探していますが、なかなか手に入れるのが難しいものなので・・・。」
アゼフ「死にたいのか?」
アルモア「あ・・・違います!少し時間がかかるだけで、必ず準備します。心配しないでください。」
アルモアが焦りながら言うのを見ると、アゼフはおもむろに、後ろに立てかけてあった剣を手に取り、アルモアののど元に突き付けた。
アゼフ「その口にかけろ。失敗は許さない。肝に銘ずるように。」
―――・・・
ジェイを迎えに、ティアセ家に着いたアゼフ。
侍女「なんと、ランデル侯爵よ。うちのお嬢様を迎えに来られたのかしら?」
正装のアゼフを見て、侍女たちが浮足立つ。
その時初老の男性がアゼフの元に駆け寄ってきた。
ティアセ家の執事「侯爵様。公女様はもう少しで出られると思います。もっと遅くにお越しくださいと伝えられたらよかったけれど、それができなくて申し訳ないことをお伝えするよう申しつかっております。」
アゼフ「私は構わないから、急がないようにとお伝えください。」
そう答えると、どこからか知っている匂いがしてきた。
アゼフ「この匂いは・・・。」
亡き養母の顔を思い出すアゼフ。
グラシア・ランデル『ペルシャディスの花びらで作った珍しい香水だそうだよ。これを手に入れるのに、どんなに苦労したことか・・・どう?香りが気に入った?愛する息子・・・。』
・・・・・・
ティロシュ「侯爵様!?こんにちは。私はティロシュ家の次女、セシア・ティロシュと申します。この前ティーパーティーでお会いしましたよね?覚えてらっしゃいますか?」
そう笑顔で言いながら、アゼフの手を握るティロシュ。
アゼフ「用件はなんでしょう。」
ひどい匂いだと思いながら、ティロシュの手を振り払うアゼフ。
ティロシュ「あ・・・ただ挨拶をしたかったんです。」
アゼフ「そうですか、お会いできてうれしかったです。ティロシュ嬢。」
ティロシュ「あ!苗字より、セシアと呼んでもらえたら嬉しいです。アゼフ。」
まるでもう触れるなと言うように、背を向け手袋をつけながら冷たく言い放つアゼフだが、ティロシュにアゼフと名前で呼ばれ、ぎろりと睨みながら、後ろを振り返った。
アゼフ「アゼフ・・・。今私を名前で呼びましたか?」
ティロシュ「いや、違います。ただ侯爵と親しくなりたくて、つい無礼を犯したようです。この前お会いした時は、私にとても親切でしたのに、どうしてそんなに怒っているのですか?侯爵様。もしかして、ティアセさんのせいですか?」
うるうると上目遣いでアゼフを見るティロシュだが、ジェイの名前を出した途端、アゼフの顔が歪む。
ティロシュ「やっぱりエルジェイ・ティアセのせいですか?彼女はとても無礼な方ですよね。私にも先に手紙を送って約束をしておいて、一方的に取り消しされたことがあるんですよ。それに、あなたをこんな長い時間外に立たせておくなんて・・・本当に無礼ですね・・・。」
アゼフ「こいつは全く気違いだな。」
いつの間にか目の前まで来ていたアゼフの恐ろしい顔を見て、ティロシュはびくっとする。
ティロシュ「え・・・?今、なんと・・・。」
アゼフ「ジェイは何日かの余裕をもって、丁寧にキャンセルの手紙を送ったはずなのに・・・わざと返事もなしに無視したままここに来て、被害者のふりをしているのはお前じゃないか。そう思わない?もっとひどい目に遭う前に消えた方がいいと思うよ。今すぐにでもその耳と目をひねりつぶしたい気持ちなんだ・・・。」
ティロシュの肩をぐっと掴んで顔を近づけ、脅すように言うアゼフ。
侍女「ティロシュさんは悲しいことがあったのかしら、体の調子が悪そうに見えますね。侯爵様もお優しいですね。」
遠目に見ると、アゼフが具合が悪そうなティロシュを気遣っているように見えるので、侍女達は全く見当違いなことを談笑していた。
アゼフ「お前が付けている香水・・・本当におぞましいよ。どこに行ってもその口に気を付けた方がいい。死んでひっくり返った姿で発見されたくなければね・・・。まあ言ったところで誰も信じないだろうがな・・・。」
がたがたと涙目で震えることしかできないティロシュ。その時。
ジェイ「・・・アゼフ!ごめんなさい、待ちましたよね?」
ドレスの裾を持ち、小走りで来るジェイに、アゼフは今さっきまでの出来事がなかったかのような満面の笑みで振り返った。
アゼフ「いらっしゃい、ジェイ。」